富賀神社の歴史
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【延喜式神名帳】阿米都和気命神社 伊豆国 加茂群鎮座
【現社名】富賀神社
【住所】東京都三宅村阿古
    北緯34度3分19秒、東経139度29分5秒
【祭神】事代主命 阿米都和気命 伊古奈比当ス
【例祭】 2月17日
     8月4日〜9日(隔年)
     11月23日
【社格】旧郷社
【由緒】嘉祥3年(850)6月4日従五位下「文徳實録」
    仁寿2年(852)12月15日従五位上
    宝歴9年(1759)5月9日社殿修復
    安永元年(1772)社殿焼失
    文政2年(1819)6月社殿修復
    天保6年(1835)社殿修復
    明治7年5月15日郷社

【関係氏族】
【鎮座地】もと上の峯富賀平(雄山の八合目あたり)の地に鎮座
     その後、二島ヶ山(新富賀山・二富賀山。古錆浜にある荒島神社のあたり。)     さらに現在地へ遷

【祭祀対象】
【祭祀】江戸時代には「三島明神」「富賀明神」「東国明神」と称していた
【社殿】本殿流造銅板葺
    拝殿・幣殿
【境内社】若宮神社・見目神社・劔神社・壬生神社

富賀山(海抜60.4m)の中腹に鎮座している。
伊豆諸島の総鎮守、静岡県の三島大社の総社と言われている。三島大社は本来この地に鎮座し、そのあと、三宅島富賀神社→白浜海岸白浜神社→大仁町広瀬神社→三島市三島大社と遷したという。

當社はもと上の峯富賀平(雄山の八合目あたり)の地に鎮座していたが、噴火により本殿を焼失し、その後、二島ヶ山(新富賀山・二富賀山ともいう。古錆浜にある荒島神社のあたり)へ移り、さらに現在地へ移ったという。
当社(当社というより当島)の神主職は累代壬生氏が襲継してきた。壬生家は三宅島でも最も由緒ある家柄で、神主職とともに代々地役人も兼ねてきた。
(蓋し壬生氏は、古代皇族の御養育に奉仕した家柄で、その一族の分布も相当に廣く、近国では駿河・三河両国にもその移住がしられるから、同家も亦中央より移住したものであろうかと推定せられる。)
伊豆下田、伊古奈比当ス神社誌 P168より抜粋。


 事代主命(恵比寿様)は、父である大国主命(大国様)とともに出雲国島根半島から紀伊国に渡り、さらに、三宅島に渡ってこの神社付近に移住し、島中に漁業、農業を伝えて、この島の基盤を築いたといわれている。静岡県三島神社は本来、富賀神社より分祀された旨が事代主神の御事跡に明記されている。

 また富賀神社の御本殿地下には事代主神の御陵であるといわれ、神殿の地下からは古墳時代の土器や勾玉、耳飾りなどが発掘されており、現在それが保存されている。なかでも古鏡は奈良時代初期の古神である。
事代主神三宅島に宮居し神去ります。事代主大神の諸島経営せられし憑拠(ひようきよ)とすべき「三宅記」となす。(前文略)  

富賀神社宮司 壬生明彦

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